はじめての骨折

トップ> 人生紀> ポキっと骨折記> はじめての骨折

骨折の経緯

「骨折していたのか…!!」
これまでの人生で、骨折したことのなかった私にとって、衝撃の出来事が発覚した。
レントゲンの写真を見る限り、骨がポッキリと折れているのである。
「まさかこんな事になるなんて…」
これは、はじめての骨折、そして、奮闘する日々の記録である…!

【ポキっと骨折記】

ことの顛末は、なんて事はない。一言で言えば転んだのである。
しかし、転び方が良くなかった。おそらく、地面についた手の上にのしかかるように転んでしまったのだろう。この事故は、防ぐことが出来たのか、運命だったのか…

私は、社員主催のイベントに参加していた。この日のイベントは、『スポーツ大会』。いくつかのチームに分かれて優勝を競い、優勝チームには豪華景品が贈られるというイベントだった。当然、力が入る。
ドッチボールやリレーなど様々な競技がプログラムに組み込まれる中、宿命の競技となったのは『障害物競走』。
障害物として設置された種目は3種類。網くぐり、パン食い、そして、ぐるぐるバットだった。

ぐるぐるバット、これは凶悪な競技であった。
おそらく、ぐるぐるバットだけで伝わると思っているが、念のため解説をしておく。
ぐるぐるバットとは、地面に立てたバットにおでこをつけ、バットを中心に体を回転させて三半規管を狂わせ、平衡感覚をなくした状態にする悪魔のような諸行のことだ。

そして、障害物競走は、このぐるぐるバットをこなした上で、移動および網くぐりとぶら下がっているパンを口で取るという、過酷すぎる競技だった。

よーいどん!のかけ声を合図に走り出した私は、ぐるぐるバットを全力でこなした。
15回という平衡感覚を狂わすには十分すぎるほどの回転を行い、バットを捨てた瞬間、まずは1度転んだ。
世界が回り、まっすぐに立っているのが不可能なほどの感覚。自らの意思で操ることのできない肉体。

しかし、舌を巻くような適応力を発揮し、狂った世界で真っ直ぐ走り出した。
待ち受けるのは網くぐり。四つん這いになって網の下を潜り抜けていく。
そして、くぐり抜けた私は、次のパン食いへ向かうため、走り出した。

ここで私は油断していた。ぐるぐるバットの後遺症は抜けていると思い込んでいたが、悪魔の呪いはまだ生きていたのだ。
走り出して2,3歩、思うように動かない体が、前のめりに崩れ落ちた。
体全体に横回転が加わっていく。
完全に転倒した後、体は横に一回転していた。
起き上がった時、私の右手には激痛が訪れていた。

あとから思い返せば、この時に骨折したことがよく分かる。
転倒の際に、顔を庇うために右腕を前に出したのだが、これがいけなかった。
不本意な横回転が加わった私の体を支えようとした右腕は、残念ながら普段と違う力のかかり方を支え切ることが出来ずに、重い体の下敷きになってしまった。

痛みはあるものの、アドレナリンによって本来よりも痛みを感じない状態になっていたのだろう。

その後、参加予定の競技を全て見学に切り替えて、ひたすら右手を冷やしていた。
シャワーを浴び、打ち上げへと参加した私は、徐々に色が変わっていく右手の様子を慮っていた。

治療編


翌日、起きてみると、内出血によってやはり怪しい色をしているので、午前中をお休みして病院へと向かった。
レントゲンを撮ってもらうと、なんと骨折であることが判明した。

あれだけ色が変わっていたのだから、その可能性は十分に考えていたが、やはり現実を突きつけられると悲しい思いだった。

レントゲンを見ると、どうやら小指の骨が折れている上に変な方に曲がっているということで、そのままではおかしな方にくっついてしまうと言われた。

指というのは重要なもので、角度が変わってしまうと、握る時に指が重なってしまったり、力が入らなくなってしまうようだ。
そのため、真っ直ぐにならないようであれば、手術の必要もあるということだった。

しかし、まずは治療の第一段階として、ズレた骨を力技で戻すという手段が取られた。
先生は、おもむろに折れた小指をグリグリと引っ張り、元の位置にはめ直した。
奇妙な感覚と共に、痛みがガシガシとやってきた。
本当の意味で、骨の芯が痛んだ。

再度レントゲンを撮ると、かなり位置が戻ったようで、いったん固定して様子見とのことだった。

こうして、私の骨折から24時間の物語は、無事に固定してもらうまでに落ち着いた。

inserted by FC2 system